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13年新卒入社(社会人三年目)
エグゼクティブサーチ事業部
マネージャー
種市 寛人 

■これまでの人生の流れ

~内向的だった小学生、中学生時代~

今でこそ何事も明るく前向きに取り組んでいますが、小学生の時は暗くて内向的な性格でした。
これは恐らく幼少の頃の家庭環境が影響していると思います。私が物心ついた時に妹が生まれ、続いて弟が生まました。そのため、親の関心が弟と妹に行ってしまい、まだ構ってほしい時期にも関わらずあまり親に構って貰えなかったのだと思います。
そのためか人の言うことやすることをいちいち気にしていた子供だったと思います。
そういう自分を変えたかったので、中学校では爽やかで格好いいイメージのあるテニス部に入部しました。

テニス部は上下関係が厳しい上に、365日中350日は練習するという厳しい環境でした。
もともと運動神経が良い方ではなく、加えて「勝ち」に執着するタイプでもなかったのでなかなかテニスは上達しませんでした。しかし、逃げるのは嫌だったので、意地で練習は続けていました。ですが、やはりテニスでは勝てませんでした。
テニスで負けてばかりだったためか、勉強では負けたくないという気持ちが強くありました。そのため、勉強では存在感を示せるよう頑張りました。
そのおかげで学力は常に学校で一番でしたし、高校受験の時には地域で一番偏差値の高い高校に入ることができました。

~挫折を味わった高校時代~
高校では地域の優秀な学生が集まる高校だったということもあり、周りは自信とプライドの高さを併せ持った人が多かったと思います。当時内向的で人と話すのが得意でなかった私は人間関係には苦労していました。

高校では、中学とは違って弓道にチャレンジしました。保守的で頑固な自分の性質にフィットしたよいスポーツだったと思います()大会成績もまずまずでした。
見出しに挫折とありますが、高校時代の挫折はこれはずばり失恋のことです。私は高校時代に彼女がいたのですが、振られてとても落ち込みました。その人は自分には不釣合いなほどに美しい人だったので、付き合えた時に私は舞い上がってしまいました。舞い上がっていて、それはもうとても嬉しかったのですが、当時の私はやはり自信がなかったので、いつしか彼女を束縛するようになり、気がついたら振られてしまいました。それはとても悲しかったですし、落ち込みました。そしてそこで生まれた負のエネルギーは僕を勉強に駆り立て、名誉欲から東大を目指して勉強しました。「見返してやる」というやつですね。高校3年生の時は毎日1日14時間以上勉強していたと思います。

~価値観が変わった大学時代~
頑張って東大を目指していたのですが、東大の受験には落ちてしまい、

後期で合格した東北大学に進学することにしました。
大学時代の思い出は2つあります。
1つ目は大学時代の部活動です。
それまで経験した部活は上下関係が厳しかったのですが、大学で出会った社交ダンス部は上級生から下級生まで非常に仲が良く、とてもフラットな環境でした。
かつて家庭でも学校でも人間関係に苦しんだことのある私にとって、フラットで仲のいい雰囲気のある環境はとても心地よかったです。また、部内の上級生が無条件で親切に競技を教えてくれた体験や、また逆に自分が下級生に対して熱心に指導した経験はとても新鮮でした。
思えば、このときから少しずつ自信を獲得し始めたと思います。
2つ目は東日本大震災です。
2011311日、私が大学4年生のときに東日本大震災がありました。
この時に私は生まれて初めて生命の危機を感じました。当時私が住んでいた宮城県仙台市は震度6強を観測しました。ライフラインが1ヶ月程度遮断され、近くでは福島第2原発の事故など、大変な状況でした。その時には部活動の仲間と助け合うなどして難を逃れました。この出来事を経て私は、本当に困った時に頼りになるのは自分自身と、苦楽を共にした仲間であるということ、また、より生活の身近なところに貢献したいと考えるようになりました。


~困難を抱えた大学院時代からBNGの入社まで~
そのような思いを抱えながら、大学院に進学し研究をしたのですが、研究では何か問題が起こったときに最適な解決方法を提示することができないのではないかと疑問を感じました。
それまで考えていた自分の進路に疑問を感じ、様々な人と触れ合ううちに、ビジネスの方が人に貢献しているということを感じられるのではないかと思うようになりました。
また、私は視覚障害を持っているのですが、就職活動中にも次第に視力が落ちていき、自分の進路に関しする選択肢が狭まったために困りました。
その中で、自分が活躍できる道を探していたところ、
当時、ある求人媒体の中で最少の企業であるBNGパートナーズに出会い、入社するに至りました。


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BNGに入った理由
私がBNGパートナーズに入社した理由としては、自分にもチャンスがあると考えたためです。
先ほど少しお話をしたのですが、実は、大学4年の時に急激に視力が悪くなり、身体障碍者手帳を取得できるほどに目が悪くなりました。
BNGパートナーズは当時創業3年目の従業員数8名であり、積極的に新卒採用を行っていました。初めてお会いした人事責任者の方も同い年の23歳の方でしたし、チャンスを感じました。
人数が少なければ、1人の裁量が大きくなるので、ハンディのある私でも結果次第で仕事を任せて貰い、貢献できるのではないかと考えたからです。
これこそが、私がBNGパートナーズに入社を決めた理由になります。
 

■自身の志、その背景
私の志は「挑戦し続ける者が報われる社会を創る」ということです。
この志を持つに至ったきっかけは、やはり自分の視覚障害の影響が大きいです。
私自身、自分に自信がない子供ではあったのですが、その一方で自分が将来世界に大きな影響を与える仕事をする人間になるに違いないという思いは持っていました。
ですが、視覚障害を得たことによって自分のできることがどんどん制限されていき、自分に対して広がる将来もそれに伴ってどんどん制限されていくのを感じました。
そのため、意欲のある人間に対しては機会が均等に与えられる社会、環境を創りたいと考えています。意欲はあり、挑戦しても結果が得られない、という方はまだまだたくさんいると思います。結果が得られないことによって挑戦自体を止めてしまう方、そもそも挑戦しない方もいると思います。何らかのハンディを持っている自分だからこそできることがある、とうのがこの志を持っている根源になります。